日本の英語教育について考える

11月28日(月)   晴れ

ドイツ語 教科書 2011
<ドイツ語の教科書>

ドイツ語のレッスンも、先週の土曜日で6回目。全9回のコースなので、2/3が過ぎたことになります。おかげさまで、簡単なことはドイツ語で話せるようになりました……わけがありません。たった6回のレッスンで何ができるというのか。
前回のレッスンで、やっと男・中・女性名詞の定冠詞(der/das/die)と、不定冠詞(ein/eine)と、否定のときの冠詞(kein/keine)と、名詞の複数形が出てきたところです。

まあ、それでもね、ゼロだったときよりは上達しましたよ。6回も授業を受けたんですからね。

さて最近、そう言えば私は外国語学習が趣味のひとつだけれども、英語だって外国語なのに、どうして中・高では身に付かなかったんだろう?と考えたんです。中、高で身に付かなかったのに、大人になってからすごく上達したし。不思議でしょ。

私は他の日本の皆さんと同じように、最初に習った外国語は中学校の英語でした。
先生には申し訳ないけれど、つまんなかったですねぇ、本当に。中学、高校で英語の授業が面白い、楽しいなんて感じたこと、ないんじゃないかしら。高校に入ってからは、先生自身が面白い人だったので、まあ中学のときよりは楽しかったかもしれませんが、それでも英語の勉強は別に好きじゃありませんでした。
だから私、自分が外国語を習うのが好きだなんて、これっぽっちも思ったことがありませんでした。

高校の選択授業でフランス語がありました。私はこれをとったんですが、そのときも外国語やるのが楽しいからとかじゃなくて、バレエに役立つかと思ったのがその理由。バレエ用語は、そのほとんどがフランス語だもんですから、フランス語やったらバレエ用語の理解に役立つかな…なんて考えただけです。結果、別に役立ちませんでしたけれど。
それでも、そのフランス語は、まあなかなか楽しかったように思います。しかし今思い返すと、楽しかった理由は、たまたま授業をとっていたのがすごく仲のいい子達ばかりだったからかもしれません。確か10人もいなかったし、のんびり、和気藹々とやれたのが大きな理由じゃなかろうかと思います。

外国語学習って楽しい!と心から気づいたのは、中国語の勉強を始めてからでした。NHKの講座も、語学学校も楽しかったし、留学生活も楽しかった。日本にいる間は、テキストを読んだり、単語帳を作ったり、宿題やったり、少しずつ習得していくその過程を楽しんでいましたが、留学してからはそれに加えて毎日中国語を話して生活ができるということが本当に楽しかった。
そのあとフランスに行ったんですが、そこでも同じようにフランス語の勉強が本当に楽しかったです。

中国とフランスで過ごした3年間の間に、英語も少しできるようになってました。英語もやらなければならないとある日気づいたからなんですが、きっかけは、中国で出会ったいろいろな国からの留学生が、ほとんどみんな英語がそれなりに話せるのを知ったことでした。英語が話せなかったのは、日本人と韓国人くらいなもので、あとはヨーロッパから来た人も、東南アジア各国から来ている人も、中南米から来ている人も、みんな英語が話せるの。その現実に気づいたとき、私はなんだかとても恥ずかしくなったんです。
それで、「それじゃせっかく英会話の実践も可能な環境にあることだし、英語もちょっとずつやってみよ」と思ったわけです。
特に何をしたってわけでもなくて、とりあえず誰かが英語で話しているときはもっと意識的に耳を傾けること、分からない単語は辞書で引くこと、よく耳にする構文("I am goint to ・・・”とか)は、色々単語を入れ替えて練習してみるとか、そういうすごく簡単なことばかりでした。

それで今はドイツ語。
大人になってからの英語は教師についてちゃんと勉強したわけではないので除外するとして、中国語、フランス語、ドイツ語の学習経験から見えるのは、日本の義務教育課程における英語教育の非効率と、どこを目指してるのかがはっきりしない様子です。
中も仏も独も、教える側の目標は、生徒がその言語でコミュニケーションが取れるようになることのようでした。だから授業では文法的なことにはあまり触れず、習うフレーズから徐々に語順を汲み取っていく、それらのフレーズを使った会話の練習でそれを自分のものにしていくという感じだったように思います。どこまでも会話、コミュニケーションを重視です。
特に私がフランスで使っていた教科書と、今使っているドイツ語の教科書はそういう方針で作られています。

日本はどうでしょう。少なくとも私が受けてきた英語の授業は、そういう感じではありませんでした。私立のちょっと特殊な学校だったので、他とはまた少し違ったかもしれませんが、英語を話せるようになる以前の私の英語のできなさ加減で言えば、他の人と同じでした。
やっぱり、大学受験・合格を目標にしてるからそうなっちゃうんでしょうね。

最近は小学校から英語教育が始まったなんていいますけれど、私なんか大人になってからでもできたんだから(環境にも恵まれていたわけですが)、小学校でやる必要性というのには、説得力がないように思われます。
よく、「"○○語を話す”ではなく、"○○語で話す"という意識になるべき」なんて言われますね。つまり、話すことの内容も大事なんだよということですが、英語の授業もその内容を変えればいいんじゃないでしょうかね。
6年も英語を習って、大人になってから高い授業料を払って語学学校に行って会話をイチから学ぶなんて、まったくバカバカしいじゃありませんか。なんという非効率さ!
第一ね、あれだけ大・中・小の英会話学校なり教室なりが乱立している日本には、より実践を重視した英語教育ができる人たちが溢れていそうなもんじゃありませんか。ノウハウだってある程度確立されていそうなもんじゃありませんか。それが学校教育には活かされないんだから、やっぱりこれは文科省の怠慢と陰謀なんでしょうね。


それじゃ皆さん、今週も元気に頑張りましょう~!Schöne Woche!…で、いいのかしら。( ̄ー ̄).....??アレ??

Comment

大学入試が変わらない限り無理じゃないかなあと思います。それに焦点を当てて高校は授業をしてるんですから。英語は小論文とそれに関する面談とする!と全ての大学が変えたらみんなそういう勉強しますよ。きっと。
  • 2011/11/28 20:16
  • joona
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■joonaさん
私は、自分の学校が受験を目標にしていない教育内容だったので、
(受験したい人は自分でそのための勉強をする)
学校教育が大学受験のためのものになるというのは、
「教育」として間違ってはいないだろうかと考えたりもしたのですが、
学歴重視の日本の普通の学校で、
大学受験とは関係のない勉強ばかりさせるというのは、
なかなか難しいでしょうね。
となると、やっぱりjoonaさんがおっしゃるように、大学受験が変わらない限り
この問題も続くということですね。
文科省と、大学まで含めた教育界全体の怠慢と陰謀かぁ。
  • 2011/11/30 14:04
  • bonbon
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