ユダの福音書

4月9日 (日)   曇り
懐かしいSさん、昨日は誕生日おめでとう。お元気でしょうか。

一昨日のニュースですが、世界的に報道されたもの。キリスト教とはあまり関係のない日本のNHKでもニュースになっていたので驚いた。

ユダの福音書の翻訳が終了。なんと、裏切り者とされていたユダが、本当はジーザスの真の理解者だった。…ということらしい。

【番組鑑賞後の追記があります】

最も重要なくだりは、イエスがユダにこう語る部分です。
「お前は、真の私を包むこの肉体を犠牲とし、
すべての弟子たちを超える存在になるだろう」。
つまり、ユダはイエスから物質である肉体を取り除くことによって、
内なる真の自己、つまり神の本質を解放するというのです。

(ナショナル・ジオグラフィック日本版サイトより抜粋)


これって即ち「最終解脱」ってやつ?以前、何か偉いお坊さん(多分、鈴木大拙という人だったと思う)のインタビューで、そのお坊さんが「仏教とキリスト教にはたくさんの共通点がある」と、アメリカに行ったときにあちらの偉い神父さんか牧師さんととても意義深い対談ができたとおっしゃっていたのを思い出した。そのとき、この彼が「キリストが十字架にかけられて死んだあの瞬間、あの瞬間に彼はまさに肉体を越えて真理を得た。つまり、仏教で言うところの解脱だったんだ」とおっしゃってた。神父さんだか牧師さんだかも、心から同意したくださったと。

私はその時、ただ「なるほどなァ~、そういうことか」と思ったんだけれど、キリスト教徒とこういう話をする機会がなかったので、それで終わりになっていた。殿はキリスト教徒(カトリック)だけれど、こういう話をしても、あの人はなんだかそういうことは理解できないらしくて、議論にならない。うちの祖母もキリスト教徒(プロテスタント)だけれど、祖母の信仰というのもなんだかアレで、こういう話はできない。

まあつまり、二人とも他の宗教に対して無関心で、よって理解の度合いも低いわけだ。殿なんか過去「仏教は宗教じゃない」とか「神道は本当の宗教とは言えない」とか言って、私をひどく怒らせたことがある。仏教に関しは、「あれは哲学だ」と言い、神道に関しては、多神教であることが一神教の彼には理解できなかったらしいんだけれども、そもそも宗教の成り立ちを考えれば、どちらとも私にとっては「ちゃんちゃらおかしい」主張だった。ユダヤ教だってキリスト教だってイスラム教だって、ヒンズー教だって仏教だって、神道だって、発生当時に「哲学」という概念が(恐らく)なかっただけで、現代の言葉で言えば、最初はみんな哲学だったんだから。

で、不完全燃焼でムラムラしていた私だけれど、今夜は今までよりは深い議論がなされる予感がしている。なぜかと言うと、この「ユダの福音書」についての番組が、今夜10時(香港時間)からナショナル・ジオグラフィックチャンネルで放送されるからー♪これは見逃せない。

ところで、この福音書はいずれそのうち聖書に加わるんだろうか。ユダの福音書は「異端」として発禁扱いも受けたことがあるとかいうことだけれど、どうなるんだろう。これに対してバチカンがどう見解を示すかにも注目したい。

世界最古の出版物である聖書の今後が楽しみだ。


***   ***   ***   ***   ***

【ここから、番組鑑賞後の追記】
番組を観ているうちに気がついたのだけれど、これって「聖書の今後が」とか「バチカンの見解が」とかそんなことよりも、もっと根本的な問題をはらんでいるんだわ。つまり、キリスト教の信仰の根本、ジーザスの犠牲によって人間の原罪が払拭されたということに関わるんだわ。キリスト教信仰を、根底から揺るがすことになりかねない。

ユダの福音書では、私が解釈するところの「最終解脱」がジーザスの目的であったという解釈ができるようになっていて、ユダがローマにジーザスを引き渡した後のこと、つまり十字架にはりつけになったこととか、そこで死んだこととか、さらにはその3日後に復活したこととかは書かれていない。
新約聖書に記されているほかの4人の福音書ではそのあたりがドラマチックに書かれているらしいけれども、なぜユダの福音書にはそれらの記述がないのか。学者たちの見解では、それは、「肉体の死」は必ずしも重要なことではなかったからだと。これには私は「うん。うん」と深く頷いた。仏教と通じるところがある。

でも、これでは、「ジーザスの犠牲」という、今日のキリスト教信仰の根本の部分がほとんど意味を持っていないことになってしまうではないか。「それじゃ困るよ」という宗教関係者や信者は多いことだろう。長年の信仰は一体なんだったのか?ということになろう。どうりで「異端」とされるわけだわ。

今後、この福音書が聖書に新たなページを加えることにはなりそうにないし、バチカンも、もしかしたら相変わらず「異端」とするかもしれないけれど、番組でも強調していたように、その昔のキリスト教は、今のように一つの解釈だけではなかった。大事なのは、何を信じ、なぜそれを信じるのかなのだ。というふうにまとめるのが、まあ国際的に言うところの「Politically Correct」なんだろうな。

私個人としては、こういうユダの福音書のような解釈の方が好きだし、理解しやすい。今まで聞いてきた聖書のお話のどれよりも、最後の晩餐の場面でのジーザスとユダの行動に合点がいくし、誰かを悪役に仕立て上げるのは好きじゃない。
でも、キリスト教社会っていうのは、見ているとどうしてもこう「悪役」が必要なようだ。アメリカ社会なんか、この図式がぴったり当てはまる気がする。勧善懲悪が一番解りやすいというのは私も理解できるけれど、本当の世の中ってそればかりじゃないとも思うんだけれどな。

殿との熱い討論を繰り広げる予定は、夕方ごろから突然低気圧発生、落雷警報発令という、よくありがちなアクシデントで達成されなかった。

■「ユダの福音書」は、ナショナル・ジオグラフィックチャンネルで、水曜日(明後日)の夜に再放送があるようです。
■明日の夜8時(香港時間)からは、イスラム教のムハンマド(モハメッド)と、イスラム教徒の生活についてです。見逃せません。

Comment

知らなかった アレが翻訳されて出版までこぎつけてしまったんですね
宗教の話しって 他宗教の人とはどうしても 衝突しちゃったり 難しいですね
うちも 旦那に「宗教は道徳だ」といわれたりもしてました

深い論議ができるといいですね^^
面白いニュースありがとうございました。
昨日朝ロンドンのホテルでFinancialTimesをちらっとみたら、ユダの福音書の記事がありましたが、これだったんですね。すぐ朝食が出てきたので結局読まなかったんですが、記事は。オランダでも放映されるかな。しかし、ダンブラウン氏の一連の著作や映画なども含めて、最近やけにキリスト教に対する圧力が高まってますね。NGは以前ダンブラウン氏の特集なども組んでとくに積極的に見受けられます。
そうそう。ダヴィンチコードもそんな感じの内容だったわ。あれは面白いよ、bonbon。読んだ?

ダヴィンチコードは、キリスト教を否定したりしている訳ではないけれど、面白い見解が載っていて多分クリスチャンにも受け入れられる(ところもある)だろうなぁと思った。

あぁ、フランス行きたかったな・・・。
ああ、面白そうな番組なのに見逃してしまいました。残念だわ。
しかしシニカルにみると、ユダがいたからこそ受難があり死があり復活があったわけで、それがなければ人間を超えた存在には成りえなかった、ほかの弟子はそのきっかけとはならなかった、ということかなあ。
どういう解釈だったか、今度、教えてね。
  • 2006/04/10 17:06
  • メラ
  • URL
オランダでもやってました。しかもダンブラウン特集の後という超豪華版(多分全世界的に同じプログラムだったとは思いますが)。ユダの福音書はキリスト教の根底を揺るがしかねないというbonbon嬢の見方には同感です。効果としては、ダンブラウン氏の著作もそうなのですが、「それが本当だとすると、今までの(おしえ)は一体なんだったの?」という教条に対するシニシズムの蔓延ではないでしょうか。あとやっぱり気になるのは何故今?ということですね。これは半分は偶然だとは思いますが、でもエジプトの洞窟から偶然最近発見されたというのではなく、NYの銀行金庫に何年も保管されていたのが最近出てきたという話みたいですからね。
■手鞠さん
そうなんですよね。
私なんかは「自称・無宗教」なのですが、やっぱり日本で生まれ育っただけ、考え方や行動は仏教&神道なんですよね。
だから、私の文化のバックグラウンドであるそれらを否定、または侮辱されるとやはりとても腹が立ちます。(笑

■檸檬ちゃん
ダビンチ・コードは、そのうち古本屋さんに並ぶようになったら読もうと思ってるわ。ずいぶん先の話だね。だって、こっちで買うと高いんだもーん。
フランスは、資金を貯めてまた今度よ!

■メラニンさん
大丈夫、再放送があります!番組の半分くらいは、ボロボロで自然回帰直前の状態にあった書物の復元過程の説明に当てられていて、その辺は私はあんまり興味がないんですが、NGとしても「これ!」というような解釈を前面に押し出してはいませんでした。やっぱりデリケートな問題だからでしょうか。
しかしどちらにせよ、裏切り者とされるユダがいなかったら、受難・死・復活の三点セットは起こりえなかったんですよね。そこを見落としている人が多いと思うんですが、まあなんにしろ、悪者を創り上げるというのは、キリスト教の説く「愛」に反するんじゃないかなぁ…と、幼少の頃から疑問に思っています。

■リオさん
世界中でやってるみたいですね。
そう。だから、この福音書は過去でも否定されてきたし、現在でもあまり歓迎されないでしょうね。これは、カトリックなんかは特にそうだと思いますが(誇り高き伝統を崩壊させかねませんからネェ)、プロテスタントはどうなのかなァ~と、その辺はちょっと興味がわくところです。
なぜ今なのか?
これが偶然だとすると、やはり今、世界的に見ても宗教のあり方(特に、ユダヤ・キリスト・イスラム3兄弟ですが)というものが再考されるべきときにきていますよね。ターニングポイントにある、というか。そう考えると、大いなる自然の摂理による「Wake-up call」であるとも言えると思います。あ、しかしこの辺は、私とてもロマンチストですのでご了承ください。(笑
偶然でないとすると(しかも、必然というロマンチックな意見でもないとすると)、何かの陰謀?誰か糸を引いている人がいるんでしょうか…。ロマンチストだもんで、考えもしませんでした。
Comment Form
非公開設定

Trackback


→ この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。